元内閣総理大臣の小泉純一郎氏。
小泉孝太郎さんや小泉進次郎さんの言わずともしれた父親ですが、小泉純一郎氏が独身であることも有名です。
小泉純一郎氏の元妻で、孝太郎さんや進次郎さんの生き別れと言われる母親が宮本佳代子さん。
政治家の家に嫁いだ宮本佳代子さんは、なぜ離婚に至ったのでしょうか。
調べていくうちに宮本佳代子さんの壮絶な過去が浮かび上がってきました。
宮本佳代子さんと小泉純一郎氏の離婚の理由についてまとめました。
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宮本佳代子と小泉純一郎の馴れ初め
宮本佳代子さんと小泉純一郎氏の馴れ初めは、お見合いでした。
ここで、宮本佳代子さんについて軽く触れておきます。
宮本佳代子さんはエスエス製薬の元会長泰道照山(たいどうしょうさん)氏の孫にあたります。
調べてみると、宮本佳代子さんの祖父がエスエス製薬の創業者という訳ではないんですね。
エスエス製薬の前身は初代白井正助氏が江戸時代に起こした会社です。
1958年に金融操作の誤りから経営不振に陥り、6代目白井正助氏が責任を取る形で退任。
これによって、江戸創業時代から続いていた白井家一族から、宮本佳代子さんの祖父、康道照山氏に経営が引き渡されました。
エスエス製薬の「S・S」は創業者白井正助氏のイニシャルに由来しているとのこと。
話を戻しましょう。
お見合いによって結婚した宮本佳代子さんと小泉純一郎氏。
お見合いが行われたのは1977年。
お見合い当時の宮本佳代子さんは青山学院大学に通う大学4年生でした。
一方、小泉純一郎氏は35歳で、既に衆議院議員として政界で活躍していました。
参考までに宮本佳代子さんと小泉純一郎氏の年齢差は14歳。
30代半ばということで、「そろそろ結婚を」と周囲が心配してお見合いの話しを持ってきたのかもしれませんね。
小泉純一郎氏は宮本佳代子さんをとても気に入り、お見合い当日にそのままプロポーズ。
結婚を前提に二人の交際は始まるのですが、順調とは無縁で先行きの暗い始まりでした。
宮本佳代子と小泉純一郎の結婚は反対された
宮本佳代子さんと小泉純一郎氏の結婚に猛反対した人がいました。
二人の結婚を認めなかったのが、宮本佳代子さんの祖父の康道照山氏でした。
結婚に反対だった理由は明らかにされていませんが、ほぼ勘当に近い形で二人の結婚は進みました。
宮本佳代子さんの祖父は、
「結婚するならその身一つで行け。」
と。
それに対して小泉純一郎氏は、
- 「何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。」
- 「白紙のままで来て欲しい。」
- 「政治家の世界は何も知らなくていい。」
小泉純一郎氏が宮本佳代子さんとの結婚を強く望んでいたことが分かります。
宮本佳代子さんは絶縁を覚悟で小泉家に嫁ぎました。
結婚に猛反対した宮本佳代子さんの祖父。
ただ、やみくもに反対したのではないと思いますが、宮本佳代子さんが後に幼い子供を残したまま離婚して実家に戻ることになったことから読み解くと、祖父には何か不吉な予感でもあったと思えてなりません。
祖父にとって、二人の結婚に何か気がかりなことが見えていたのかもしれません。
宮本佳代子と小泉純一郎の結婚
1977年にお見合いをした宮本佳代子と小泉純一郎氏。
結婚当時の画像がこちら。
22歳にしてはかなり大人っぽい感じの佳代子さん。
切れ長の目に鼻筋の通った日本人形のような美人さんですね。
絶縁同様の反対に遭いながらも翌年の1978年に結婚しています。
そして結婚した年の7月に第一子となる小泉孝太郎氏が誕生。
1978年7月に第一子が誕生となると、授かり婚のようですね。
宮本佳代子さんが長男の孝太郎さんを出産したのは22歳の時。
大学を卒業してから4か月後の7月に孝太郎さんが誕生しています。
佳代子さんは、大学在学中に身ごもっていたことになりますね。
宮本佳代子さんの祖父が猛反対だったのは、その辺に理由があったかもしれないですね。
1981年4月14日に第二子となる進次郎さんが誕生。
そして進次郎さんが生まれた翌年1982年に宮本佳代子さんと小泉純一郎氏は離婚しています。
一体、何があったのでしょうか?
驚くのはそれだけではありません。
離婚したときには、宮本佳代子さんのお腹の中には第三子を身ごもっていたのです!
しかも妊娠6ヶ月!
何と言うことでしょう!
身ごもっているにも拘わらず小泉家を出た宮本佳代子さん。
それ程までにして離婚に至った背景には、どんな大変なことがあったのでしょうか。
後に宮本佳代子さんは当時を次のように振り返っています。
- 人生で一番辛い時期だった
- 一生分の涙を流した
離婚の際に、小泉純一郎氏は、
「君子、去る者は追わず来る者は拒まず、だな。」と言って、冷淡だったそうです。
宮本佳代子の離婚理由
宮本佳代子さんが小泉家に嫁いだ時は、義理の母と義理の姉、そして義理の弟夫婦の家族が一緒に住んでいたと言います。
そんな中で、小泉純一郎氏の母親と姉の信子さんが小泉家の実権を握っていたと言われています。
また、小泉純一郎氏の姉の信子さんは純一郎氏の秘書でもありした。
大学を出たばかりで小泉家に嫁いできいた宮本佳代子さん。
政界のこともわからず、慣れない小泉家での生活に大変な苦労があったのでしょう。
2016年3月6日配信の夕刊フジのインタビュー記事で宮本佳代子さんは、結婚生活を振り返りこう述べています。
「今日の私があるのは、あれだけの家に嫁がせていただいて、女としてのひととおりの経験をしたおかげです。
私の嫁いだ先は、3代続く政治家の家で(中略)、私にとってはいい人生勉強でした。
いっぱい涙を流したからこそ、人の痛みがわかる人間になれたと思います」
引用元: 夕刊フジ
いっぱい涙を流したからこそ、人の痛みがわかる人間になれたと思います
宮本佳代子さんのこの言葉に全てが詰まっているかのように伝わってくるようです。
宮本佳代子さんの離婚の理由も全てこの言葉が語っている通りなのではないでしょうか。
辛い経験をたくさんしてきたのでしょう。
いじめに近いこともあったかもしれません。
それらを全て「いい人生勉強」と言って、糧にしてきた宮本佳代子さんの心底強い人柄が垣間見えます。
宮本佳代子の離婚後
1992年に離婚した宮本佳代子さんと小泉純一郎氏。
離婚当時4歳だった孝太郎さんと1歳だった進次郎さんの親権は父親である小泉純一郎氏に渡りました。
幼い子供と生き別れになった、母親の宮本佳代子さんにしたらどんなに辛いことだったでしょう。
幼い子と別れるだけでなく、お腹の中に身ごもっての離婚。
宮本佳代子さんは離婚当時を振り返って、当時の心境を次のように述べています。
一目顔も見られない孝太郎や、進次郞のことを思うと仕事もなにもかも放り出してやめてしまいたいと思うことは幾度となくあった。それでも必死に頑張ってきて、人と人とのご縁を大切にして来たからこその今がある」
引用元:いきいき
宮本佳代子さんは鎌倉の実家に戻り、1983年に第三子を出産。
事実上、小泉純一郎氏の三男にあたります。
三男さんは宮本佳長さんです。
三男の佳長さんが誕生した際に、
小泉純一郎氏は三男さんの親権を主張したとのこと。
しかし、三男・佳長さんの親権は母親の宮本佳代子さんに渡りました。
もし、三男さんまでも失ったら、、、、、、、、私だったらどうなっていたか分かりません。
ちなみに、この時、小泉純一郎氏は「養育費は払わない。」と言ってきたそうです。
三男・佳長さんを出産後、宮本佳代子さんはシングルマザーとして強く生きています。
宅地建物取引主任者の資格を取得。
不動産会社に勤務。
三井不動産の子会社のコンサルタントとして活動。
現在も都心のオフィスに勤務しながら、渋谷区に本社を置く宮本アソシエイツの代表も務めています。
三人兄弟の現在の仲は?
宮本佳代子さんと三男・佳長さんは25年以上もの間、小泉純一郎氏に会うことはなかったそう。
一度、佳長さんが「父親と二人きりで会いたい」と泣きながら電話をしたそうです。
しかし、純一郎氏の姉の信子さんが「血は繋がっているけど、親子関係はない。」と謝絶。
その結果、25年以上会うことはなかったと言います。
そんな親子関係に変化が現れたのは2008年のこと。
小泉純一郎氏が政界の道を次男の進次郎氏に渡し引退。
- 「家のことはお前たちに任せた。」
- 「三人は兄弟だから仲よくすればいい。」
その後、三兄弟は連絡を取り合い、父親の純一郎氏も交えて4人で小泉家御用達のレストランで会食。
2014年には三男の佳長さんは結婚。
一部の情報では、佳長さんの結婚式に小泉純一郎氏が出席したとありますが、実際は結婚式には参列していないようです。
宮本佳代子さんのインタビュー記事では「実際に小泉純一郎氏が参列したら大変なことになるでしょう。」と話しています。
長く絶縁状態にあった親子関係も和解し、現在も良好な関係を保っているとのことで、
めでたし・めでたし 。
以上、宮本佳代子さんの離婚理由や離婚後についてでした。
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