投資ジャーナル事件のアイドルは倉田まり子?現在は大学教授に?

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巨額の詐欺事件で話題となった投資ジャーナル事件。

当時、首謀者となった中江滋樹の愛人と囁かれたのがアイドルとして活躍中だった倉田まり子さんでした。

この記事では投資ジャーナル事件の首謀者中江滋樹と倉田まり子さんの関係について、また芸能界を引退してからの倉田まり子さんの現在の様子について紹介しています。

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投資ジャーナル事件のアイドルは?

投資ジャーナル事件は、相場師中江滋樹が首謀者となって会員から巨額の資金を調達するも、結果としては資金を返済することが出来なくなり詐欺事件として中江滋樹が逮捕された事件です。

投資ジャーナル事件の首謀者となった中江滋樹は父親が証券マンだったことで、小学5年生から株の取り引きを始めています。

高校生になると信用取引に行うようになり、高校の先生からもどの株に投資したらよいかアドバイスを求められるほど相場観が的中していました。

元々成績優秀だった中江滋樹は数学を覚えるように、株式投資も覚えていったようです。

大学は神戸大学に進学するも、投資で巨額の利益を得られるようになっていた中江滋樹は大学を中退し、証券会社で黒板書きと言われるバイトから投資に関する雑誌の出版に関わるようになり、1972年20歳にして投資ジャーナル社を設立。

「絶対に儲かる売買テクニック」を披露するなど、瞬く間に兜町の風雲児ともてはやされるようになります。

1985年のフライデーの創刊号に中江滋樹と倉田まり子さんのツーショットの写真が掲載され、倉田まり子さんは中江滋樹の愛人と噂される発端となってしまいます。

この当時の中江滋樹は30歳になるかならないか位の年齢で、倉田まり子さんは中江滋樹よりも6歳年下でした。

中江滋樹と倉田まり子さんのツーショットの画像と共にフライデーで取り上げられたのは、アイドルの自宅新築資金として7千万円が投資ジャーナルから流れたと言うものでした。

後にこの7千万円については、「芸能プロダクションとの契約料を担保にした融資であった」ということで収束に至っています。

結局はこの7千万円の新居は、贈与されたものとみなされ贈与税を支払うことが義務付けられましたが、贈与税を払うことが出来ずに競売に掛けられたとされています。

その後、中江滋樹は会員から集めた巨額の資金を返済出来なくなったとして詐欺容疑で警視庁に逮捕。

これが後に投資ジャーナル事件と言われるようになります。

倉田まりこさんは、投資ジャーナル事件の首謀者の愛人というイメージが付きまとってしまいます。

身の潔白を訴えて記者会見まで行った倉田まり子さんでしたが、結局は一度ついてしまった悪いイメージを払拭できないまま、芸能界引退に追い込まれています。

当時、倉田まり子さんは第21回レコード大賞新人賞を受賞するなど、今後の活躍に期待を持たれていましたが、中江滋樹に関わったことで無念にも芸能界引退と言う結末に至ってしまいました。

実際に、倉田まり子さんが中江滋樹の愛人であったかどうかについては、中江滋樹本人の証言によると倉田まり子さんとは4・5回食事に行っただけだったとされています。

そもそも中江滋樹と倉田まり子さんが出会うきっかけとなったのは、テレビ番組で倉田まり子さんの芯の通った姿を見た中江滋樹が一目で倉田まり子さんのファンになったこと。

丁度その頃、中江滋樹の会社の幹部の一人がカルチャー雑誌を作りたいと提案。

この幹部の提案を受け入れる条件に、創刊号の表紙を倉田まり子さんに起用することと、倉田まり子さんのインタビューを掲載することを条件に雑誌の創刊に4千万円を出資していました。

このカルチャー雑誌の創刊に於いて、中江滋樹と倉田まり子さんは対面することになります。

雑誌の撮影とインタビューが行われた後で、撮影に同席した中江滋樹は倉田まり子さんとの記念撮影に臨みます。

この時、中江滋樹はカメラマンから「倉田まり子さんの隣に座って軽く方に手を回して下さい。」と要望され、それに従い撮影したところ、後にこの時の記念撮影の写真がツーショット画像となって世に出回ってしまったと、中江滋樹の回顧によっての証言です。

中江滋樹と倉田まり子さんの愛人説に関しては本人たちは否定をされています。

中田茂樹は倉田まり子さんの一ファンに過ぎなかったかもしれません。

しかし、巨額のお金も倉田まり子さん側に流れたことも事実のようです。

お金があるが故の一ファンからのプレゼントというだけのことであったかもしれません。

不甲斐なくこのような事件に巻き込まれてしまい、アイドル歌手としての生命を絶たれたことは倉田まり子さんにとっては、無念の一言でしかないかと思われます。

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倉田まり子の現在は?

無念にもアイドル歌手としての活動を絶たれてしまった倉田まり子さん。

現在の倉田まり子さんはどのような暮らしをされているのでしょうか。

まずは、倉田まり子さんの簡単なプロフィールからご覧ください。

  • 本名: 坪田真理子(つぼたまりこ)
  • 生年月日: 1960年11月20日(2022年で62歳)
  • 出身地: 長崎県諫早市
  • 学歴: 日出女子学園高等学校

倉田まり子さんは長崎県諫早市の出身で、2022年で62歳となります。

倉田まり子さんが中学生の時に長崎県島原市で「家族そろって歌合戦」の収録があり、出場したことでスカウトの目に止まり芸能界デビューにきっかけとなっています。

高校生で上京。

NHKで放送されていた「レッツゴーヤング」にサンデーズの一員でレギュラー出演しています。

倉田まり子さんは当時、同じく歌手として活躍されていた石川ひとみさんに良く似ていると言われていました。

倉田まり子 ⑯『青いフォトグラフ/愛を翼にして』(1983)
出典: pinterest

倉田まり子~恋はAmi Ami
出典:pinterest

こちらが石川ひとみさんの画像です。

石川ひとみ~あざやかな微笑(79.1)
出典:pinterest

目の印象が石川ひとみさんと似ているでしょうか。

見間違えるほどよく似ているように感じます。

前置きが長くなってしまいましたが、現在の倉田まり子さんについてです。

芸能から引退を余儀なくされた倉田まり子さんは、国際法律事務所の秘書として勤務。

その後、資格試験予備校LECの執行役員に就任し、講師としても活動しながら2003年に独立起業をされています。

現在は名前を倉田まり子から「坪田まり子」に変えて活動。

キャリアカウンセラーとして大学生への就職指導や企業自治会向けのプレゼンテーション能力の向上や営業力強化等の研修やビジネスを手掛けています。

また、2015年4月から東京学芸大学特命教授に就任。

キャリア支援担当の教授として大学の教壇にも立っているようです。

倉田まり子さんは芸能界とは距離を置いていますが、当時の倉田まり子さんのファンらによる同窓会には参加することもあり、当時のファンとの交流を楽しむこともあるようです。

アイドル歌手として活躍されていた倉田まり子さんですが、投資ジャーナル詐欺事件で芸能界の引退を余儀なくされてからは、本人の努力で大学教授という肩書まで手に入れました。

倉田まり子さんのひた向きな姿が感じられるようです。

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倉田まり子の結婚や子供は?

現在は起業家として、また大学教授という肩書を持っている倉田まり子さんですが、プライベートでは結婚はされているのでしょうか。

倉田まり子さんは1996年に1歳年下の会社員の男性と結婚したとの情報があります。

倉田まり子さん36歳の時の結婚でした。

そして1997年には女の子を出産されています。

2022年で娘さんは25歳となるようです。

しかし、現在は旦那さんとは離婚に至っているようです。

倉田まり子さんも2022年で62歳。

今後はお一人様を満喫するのもいいかもしれませんね。

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まとめ

投資ジャーナル事件のアイドルについて、倉田まり子さんの現在の様子について紹介しました。

最後までお読み下さりありがとうございます。

投資ジャーナル事件の首謀者中江滋樹についてはこちらの記事に詳しく書かれています。

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