国枝慎吾が車椅子になった原因はなぜ?歩けるようになったのはいつ?

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車椅子テニス世界ランキング1位のまま2023年1月に現役引退を表明した車椅子テニスの国枝慎吾選手。

パラリンピックでは何度も金メダルを獲得するなど、車椅子テニス界のレジェンドとして君臨してきました。

これも一重に国枝慎吾選手の前向きな努力が実を結んだことと思います。

そんんなテニス界のレジェンドと言われる国枝慎吾選手なのですが、車椅子になった原因は何だったのでしょうか?

また、現在は歩けるとの情報もあるようです。

この記事では国枝慎吾選手が車椅子になった原因などについてまとめています。

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国枝慎吾選手の車椅子の原因

2021年の東京パラリンピックの車椅子テニスで見事に金メダルに輝いた国枝慎吾選手。

世界ランクも1位にも君臨しており、まさにテニス界のレジェンドとして国枝慎吾選手の存在は圧倒的です。

国枝慎吾選手の実力はあのロジャー・フェデラー選手も太鼓判を押すほどです。

元々、国枝慎吾選手は少年の頃は野球少年で体を動かすことが大好きだったそうです。

そんな健康的な国枝慎吾選手は何故、車椅子の生活になってしまったのでしょうか?

国枝慎吾選手は小学校4年生の時に脊髄腫瘍を患います。

脊髄腫瘍とは、背骨に腫瘍(癌)が出来る病気だそうです。

脊髄に腫瘍が出来ることによって、背骨を通っている神経が圧迫され手足に麻痺が残ってしまう場合があるそうです。

脊髄腫瘍は原発性脊髄腫瘍と転移性脊髄腫瘍の二通りから発症すると言われているそうです。

国枝慎吾選手の場合は、前者の原発性脊髄腫瘍が原因のようです。

国枝慎吾選手が患った脊髄腫瘍は悪性で腫瘍の摘出手術を受けるも、足に麻痺が残ってしまい車椅子生活になってしまったようです。

当時、国枝慎吾選手の両親は悪性腫瘍であることを告知はせずに、時間が経過してから告知をしたそうです。

また主治医からは一生車椅子生活だと言われたとのこと。

両親曰く、国枝慎吾選手は悲観することなく、持ち前の明るさで悲しむ素振りを両親や周囲の人には見せなかったと言います。

国枝慎吾選手の幼いながらにして、ひた向きで前向きな明るい性格は素晴らしいの一言に尽きますね。

国枝慎吾選手が車椅子生活になった原因は事故などではなく、脊髄腫瘍が原因でした。

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国枝慎吾選手の出身

国枝慎吾選手の出身をプロフィールと共に紹介します。

国枝慎吾

生年月日: 1984年2月21日

年齢: 39歳(2023年の誕生日で)

出身地: 千葉県

在住地: 千葉県柏市

身長: 173センチ

体重: 65キロ

所属: ユニクロ

スポンサー: HONDA BNYメロン、オーエックスエンジニアリンググループ、井上ゴム工業

       ANA、YONEX、NEC、麗澤大学

出身高校: 麗澤高等学校

出身大学: 麗澤大学国際経済学部

国枝慎吾選手の出身は千葉県です。

現在は千葉県柏市在住とのこと。

小学校4年生の時に脊髄腫瘍を患い、車椅子生活になった国枝慎吾選手。

11歳のときに母親の勧めで車椅子テニスと出会います。

国枝慎吾選手は車椅子テニスに出会う前は、車椅子バスケットボールに夢中になっていたそうです。

車椅子バスケットボールが出来るチームを母親と一緒に探しましたが見つからずに、車椅子テニスのチームに加わることになったそうです。

国枝慎吾選手は、最初は車椅子テニスに気乗りをしなかったと言います。

前向きで明るい性格の国枝慎吾選手は車椅子生活になっても、多くの友人との交流は以前と変わらず友達も多かったようです。

国枝慎吾選手は車椅子生活でしたが、友人はそんな国枝慎吾選手にも普通に接しており、スポーツも同じように楽しんでいたそうです。

国枝慎吾選手は友人をスポーツを楽しむうちに、車椅子の操作が上達。

気が付くと、すっかり車椅子テニスに夢中になっていたそうです。

麗澤高等学校に進学した国枝慎吾選手は、高校一年生で海外遠征を経験。

世界のレベルの高さを目の当たりにすると共にこの世界で頂点に立つと決意。

帰国後、本格的に車椅子テニスに打ち込むため丸山道弘コーチに指導を受けることに繋がっています。

国枝慎吾選手はメキメキと頭角を現します。

国枝慎吾選手の主な実績がこちら。

●2006年: アジア人初世界ランキング1位 (国枝選手22歳)

●2007年: 車椅子テニス史上初年間グランドスラム達成

●2009年4月: 日本人初車椅子テニスプロ転向 (国枝選手25歳)

●2010年11月まで: シングルス107試合連続勝利数記録

●2008年: 北京パラリンピックシングルス優勝、ダブルス3位

●2012年: ロンドンパラリンピックシングルス優勝

●2016年: リオデジャネイロパラリンピック ダブルス3位m

●2018年: 全仏オープン 優勝(通算7回)

●2020年: 全豪オープン 優勝(通算10回)

●2020年: 全米オープン 優勝(通算7回)

●2021年: 東京パラリンピック シングルス優勝

改めて国枝慎吾選手の実績を見てみると輝かしい成績を残されているのが分かりますね。

その背景には、国枝慎吾選手の並々ならぬ努力が重ねられていることと思います。

プライベートでは2011年の27歳の時に結婚をされています。

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国枝慎吾選手は歩ける?

国枝慎吾選手は、2009年に日本人で初めて車椅子テニスのプロになった時に、「自分の足で歩く」ことを決意したそうです。

するとリハビリ開始から3ヵ月で車椅子から立てる状態になったそうです。

約半年後には1分以上両足で立ち上がることが出来、なんと一年後には14歩も歩けるまでになったとのこと。

国枝慎吾選手は17年ぶりに歩くことが出来たそうです。

小学4年生で車椅子生活になり、17年ぶりとのことで国枝慎吾選手は27歳の時に数歩ですが歩くことが出来たと言うことです。

国枝慎吾選手は根っからの努力家でテニスでも一つの技を習得するために3万回以上も練習をするそうです。

2010年に国枝慎吾選手は20歩歩けるようになったことが報道されています。

国枝慎吾選手が26歳から27歳に差し掛かる時ですね。

懸命なリハビリに取り組んできた国枝慎吾選手は数歩ですが、歩けるまでに至っているようです。

また、国枝慎吾選手が歩く様子が目撃されています。

一人で歩いてコンビニのトイレに行くことが出来るまでの回復は凄いの一言に尽きますね!

まさに奇跡と言っても過言ではなさそうですが、そんな奇跡とも言えることを現実にしてしまうところが国枝慎吾選手の凄さでもあります。

2023年1月に世界ランク1位のまま車椅子界を勇退した国枝慎吾選手。

今後の多くの人に勇気と希望を与え続けることでしょう。

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まとめ

車椅子テニスの国枝慎吾選手が車椅子になった原因や、出身地や歩けるかなどについて紹介しました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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