実業家の中でもとりわけイケメンな容姿に注目が集まるGMOインターネット創業者の熊谷正寿氏。
GMOインターネットを一代で築き上げたこともさることながら、熊谷正寿氏がどのような生い立ちに育ちに育ったのか気になりますね。
そこでこの記事では熊谷正寿氏の生い立ちや父親についてまとめてみました。
どうぞ最後までご覧ください。
熊谷正寿(GMO)の生い立ち

出典:https://group.gmo/company-profile/profile/masatoshi-kumagai/
GMOインターネットをゼロから大企業に築き上げた熊谷正寿氏。
熊谷正寿氏の生い立ちを遡ってみると、父親も実業家として数々の商売を繰り広げていました。
実業家の家系に誕生した背景から、起業家としての素質が少なからず生まれながらにして備わっていたとも受け取れます。
しかし、熊谷正寿氏の生い立ちを追っていくと、社長である父親から金銭援助を受けていとも簡単に会社を興し順風漫歩に歩んできた訳ではありません。
むしろ、波乱万丈と言う言葉がしっくりくるようなそんな道筋が見えてきます。
熊谷正寿氏の生い立ちです。
熊谷正寿氏は1963年7月17日に長野県東御市(旧・東部町)に誕生し、その後東京で育っています。
熊谷正寿氏の父は東京神楽坂を中心に不動産、パチンコ、映画館などを経営する熊谷興行の創業者でした。
また、父方の祖父は原敬元首相の側近を務めていた熊谷巌氏で政治家でした。
祖母は心形刀流宗家にゆかりのある出身で、礼儀作法に厳しかったそうで、熊谷正寿氏も祖母から礼儀作法を厳しく教え込まれたと言います。
熊谷正寿氏の母は東京でテーラーを営む商人の娘として誕生しています。
熊谷正寿氏のご先祖様を見る限り、政治家であったり実業家であったり、かなり格式高い家系であったことが分かります。
そして、熊谷正寿氏の父親は女癖が悪かったことでも名を馳せていたようです。
熊谷氏には異母兄弟が2人いるようですが、実は兄弟全員の母親が違うとのこと。
父は一生涯独身で3つの家庭を持っていたと言うことです。
熊谷正寿氏は、格式高く数々の事業を営む裕福な親の元に誕生し、お金には何不自由なかったかもしれませんが、異母兄弟がいるなどちょっと複雑な事情も見え隠れする生い立ちに育っていました。
熊谷正寿の父親
熊谷正寿氏の父・熊谷新氏は女癖が悪かったと言われていますが、実業家として数々の事業を展開し、成功させている手腕実業家です。
また、前述した通り、政治・武士道の家系に育った熊谷正寿氏の父親は、息子である熊谷正寿氏にも厳しくも実践的な経営教育を行ってきたと言われています。
それらが功を奏し、熊谷正寿氏の起業家の原点になったことは間違いないでしょう。
熊谷正寿氏は幼い頃にレストランに行くと、父親からこのお店の売り上げがいくらで利益はどのくらいなど、商売のイロハを教え込まれたと言います。
また、熊谷正寿氏は二十歳で結婚し、21歳で父親になっていますが、この当時、熊谷正寿氏は父親の会社で働いていました。
しかし、社長の息子と言う立場ではありましたが、優遇されるどころか、社員の手前少ない給料で人の何倍も働かされたと言います。
結婚当初の熊谷正寿氏の住まいは、傾き加減のおんぼろアパートに住まわっており、妻は幼い娘を託児所に預けて椿山荘のパートで家計を助けていたそうです。
社長の息子とであっても、決して甘やかすことなく厳しく対応したところに、父親の社員への気配りが感じられるようです。
熊谷正寿の起業までの道筋
熊谷正寿氏は高校は國學院高等学校に首席で入学し学年総代を務めました。
当時の校長先生から、國學院大學に進学しないで東京大学に進学して欲しいと太鼓判を押されるほど成績優秀だったと言います。
しかし、熊谷正寿氏は2年生の夏に中退。
中退の理由は、全く勉強をしなくなってしまったことを挙げています。
勉強から遠のいたことで、成績が600人中500番台まで下がったことで、担任の先生から目をつけられるようになり中退したと。
高校2年生で中退した後は父の会社で働きながら、20際頃には株の勉強も始めています。
そして、20歳で結婚し、21歳で子供が誕生。
この時期、放送大学に入学するも、こちらも卒業寸前に中退。
通信制の放送大学の学費は父親からの援助は一切なく、自ら働いたお金で払ったそうです。
熊谷正寿氏は20歳の頃から人生の目標を紙に書き出し、手帳を使い夢への実現の足掛かりにしてきました。
後にその経験は一冊の本となり出版されています。
この本で多くの人が夢を叶えたことでしょう。
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25歳の頃に、「礼儀正しさに勝る攻撃力はなし」という信念を確立し、27歳でGMOインターネットの前身となる会社を創業します。
熊谷正寿氏は父方の祖母に礼儀作法や挨拶など厳しく教えられたことが事業家としての下地になったと述べています。
また、父の事業を手伝いながら、商売の基本や経営のノウハウを学んだことも大きかったとも述べています。
社長の息子であっても、決して甘やかすことなく育てられたことは、今となっては素晴らしい学びであったことと思います。
まとめ・熊谷正寿(GMO)の生い立ちと父親について
GMOインターネットの創業者、熊谷正寿氏の生い立ちと父親について紹介しました。
熊谷正寿氏はパチンコ屋さんや不動産、映画館など数々の事業を営む父親の元に育っていました。
また、社長の息子でありながら、決して甘やかされることなく厳しく育てられ、結婚当時は極貧の生活を送るなど、若い頃の苦労を買って出たような時期も過ごしていました。



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