金賢姫の生い立ちは上流家庭!父親と母親の職業や家族構成は?

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1987年11月に起きた大韓航空機爆破事件。

実行犯となったは金賢姫元工作員と金勝一元工作員の二人。

逮捕当時の金賢姫元工作員は容姿端麗であったことも相まって注目が集まりました。

大韓航空機爆破事件と言う大きなテロ事件の実行犯となった金賢姫元工作員の生い立ちはどのようだったのでしょうか?

この記事では金賢姫元工作員の生い立ちは父親、母親の職業に兄弟など家族構成について紹介しています。

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金賢姫の生い立ち

1987年11月29日、バクダッド発ソウル行きの大韓航空機が偽造パスポートを使い日本人になりすました二人の北朝鮮の工作員によって飛行中に空中で爆破されたテロ事件。

このテロ事件で乗員11人、乗客104人が犠牲となりました。

日本人になりすまし、偽造パソポートを使って犯行に及んだのは、蜂谷真由美を名乗った金賢姫元工作員と蜂谷真一を名乗った金勝一(事件後薬物自害で死亡)でした。

金賢姫元工作員と金勝一元工作員は、バクダットから時限爆弾を手荷物として大韓航空機に持ち込み、経由地のアブイダビで時限爆弾の手荷物を機内に残したまま、飛行機を降りています。

その後、大韓航空機は予定通り次の経由地に向か途中で時限爆弾により空中爆破となりました。

この事件で金賢姫元工作員は死刑判決を受けていますが、後に韓国政府の特別恩赦となり死刑は免れました。

その後、金賢姫元工作員は事件の全容を解く重要な人物として、韓国国家の監視と警護の元に所存など万全に機密にされながら生活を送っています。

前置きが長くなりました。

このような重大な事件の実行犯となった金賢姫元工作員はどのような生い立ちを辿ってきたのでしょうか?

まずは、金賢姫元工作員のプロフィールから紹介します。

生年月日:1962年1月27日

年齢: 61歳(2023年の誕生日で)

出身地: 北朝鮮 平壌市大東院区城東新洞

学歴: 下新人民学校(4年制)

    中新中学校(5年制)

    金日成総合大学生物学科(高校・大学に当たる)

金賢姫元工作員は北朝鮮の出身です。

金賢姫元工作員の父親は、金元錫(キムウォンソク)で、外交官をしていました。

金賢姫元工作員が生まれた当時、父親は北朝鮮大使館三等書記官としてキューバに在住。

金賢姫元工作員は4歳までキューバのバハナで暮らしています。

キューバでの駐在を終えると、金賢姫元工作員が4歳の時に平壌に帰国しています。

金賢姫元工作員の父親は、アンゴラで北朝鮮代表部水産代表を務めていたとの情報もありますが、アンゴラ政府によるとこのような人はいなかったとされています。

アンゴラに駐在していたかの真相は定かではありませんが、いずれにしても金賢姫元工作員は外交官の父親を持ち、上流階級の家庭に誕生していることは確かなことです。

金賢姫元工作員の母親は、林明植(イムミョンシク)。

開成出身だったそうですが、朝鮮戦争以前はこの地は韓国領域であったことから、開成出身であることを隠しながら生活をされていたそうです。

母親の職業は開成中学校で教師をされていたとのこと。

外交官の父親に教師の母親。

その背景だけでも、金賢姫元工作員がエリートの血筋を引いていることが伺えます。

また、金賢姫元工作員は幼い頃から美人であったことから、9歳の頃には北朝鮮の映画に出演しており女優の経験もあるのでした。

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金賢姫の家族構成

外交官の父親と教師の母親の元に誕生した金賢姫元工作員。

金賢姫元工作員の兄弟は姉が一人、妹が一人、弟が二人の5人兄弟です。

●姉: 既に他界

●妹: 金賢玉(キムヒョンヒク)

●弟: 金賢(キムヒョンス)

●弟: 金範(キムポムス)

金賢元工作員の父親は既に病死されているとのこと。

母親は、金賢姫元工作員が工作員として召喚されたことで何年間も会えなくなることや婚期を逃してしまうのではなかなど、当時はとても悩んでいたと言います。

金賢姫元工作員の姉に関しては既に亡くなっているとのことで、名前なども不明なことから早くにして亡くなっていると思われます。

金賢姫元工作員の妹は結婚しはしたけれど、夫は心臓麻痺で既に他界されているそうです。

一番下の弟さんは15歳の時に皮膚癌で他界。

2012年の情報でちょっと古いのですが、母親は弟と共に強制的に移され厳しい生活を余儀なくされているとありました。

また、弟は外国語大学に進学しましたが中退。

一時は貿易機関で指導員職位に昇進するも、業務中に問題が生じ左遷されたとのこと。

現在は弟さんはお嫁さんが商売をしており、それで生計を立てていると言われています。

金賢姫元工作員の家族もまた、大韓航空機爆破事件で大きく人生が変わってしまったことでしょう。

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金賢姫の経歴

金賢姫元工作員がテロリストになるまでの経歴をまとめてみました。

外交官の父親と教師の母親を両親に持った金賢姫元工作員は、元々から成績優秀でした。

成績優秀なこともあり、そこにきて容姿端麗だった金賢姫元工作員は、目立つ存在であったでしょうか?

1980年に朝鮮労働党中央委員会調査部の工作員として召喚されています。

※召喚とは呼び出されること

自分から名乗り出たわけではなく、政府からお呼びがかかったという感じでしょうか。

金賢姫元工作員が工作員として召喚されてから、大韓航空機爆破事件を起こすまでの流れがこちら。

●1980年: 朝鮮労働党中央委員会調査部の工作員として召喚

●1980年~: 金正日政治軍事大学工作員速成情報クラス入学

●1981年~: 韓国人に成りすませるように韓国化教育を受ける

●1981年~: 2年間日本語教育と中国化教育を受ける

●1983年~: スパイ実務教育・再武装教育を受ける

●1987年10月: 大韓航空機爆破事件の命を受ける

●1987年11月29日: 大韓航空機爆破事件実行

金賢姫元工作員は工作員として召喚されてから約7年間かけて韓国化教育や日本語教育、中国化教育、スパイ実務などを教育されてきました。

2年間、日本語の教育を受けた時は、拉致被害者の田口八重子さんから日本語を学んだと言います。

金賢姫元工作員の証言によると、田口八重子さんは「李恩恵」という名前で金賢姫元工作員と2年間生活を共にし、日本語と生活習慣を教えてくれたとのこと。

※田口八重子さんは昭和53年6月に東京の高田馬場のベビーホテルに二人の子供を預けたまま行方不明となっています。

スパイ実務では、偽造パスポートを入手にヨーロッパやバンコク、マカオ、香港、中国などに渡航しています。

そして事件の約一ヵ月前の1987年10月にマカオに滞在しているところ、北朝鮮に呼び出され大韓航空機爆破事件の命を受け、翌月1987年11月29日にテロ事件を実行。

事件後、死刑判決を受けた金賢姫元工作員ですが、韓国政府の特別恩赦を受け現在は韓国政府の監視と警護の元生活を送っています。

韓国政府が金賢姫元工作員に恩赦を与えたのは、北朝鮮の工作員として組織に洗脳され利用されたことであったこと。

また金賢姫元工作員もテロ事件で犠牲者となった乗客乗員と同じで、金賢姫元工作員自体も被害者であると韓国大統領が認めたことで、死刑判決から恩赦となっているとされています。

大統領の特別恩赦で命は助かった金賢姫元工作員ですが、現在は韓国政府の監視下にあり、まったくの自由の身という訳ではなさそうです。

また、このような重大な事件、そして多くの人の命が奪われたことは、いつまでも金賢姫元工作員の心の中からぬぐってもぬぐいきれない深い傷となっていることは言うまでもありません。

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まとめ

大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の生い立ちや父親と母親の職業、家族構成について紹介しました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

金賢姫元工作員の結婚した夫や子供についてはこちらの記事に詳しく書かれています。

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