多くの人の記憶に残る秋葉原通り魔殺傷事件。
2022年7月26日に元死刑囚の加藤智大の刑が執行されました。
多くの人が犠牲になった秋葉原通り魔殺傷事件。
被害者やその遺族はやりきれない思いを現在も抱えながら生きていることと思います。
またに加藤智大死刑囚の家族に於いても穏やかな生活とは程遠い暮らしを余儀なくなれていることでしょう。
この記事では秋葉原通り魔殺傷事件の加藤智大死刑囚の両親の現在についてまとめています。
秋葉原通り魔殺傷事件の概要
2008年6月8日の日曜日。
多くの人が行きかう白昼の秋葉原で事件は起こりました。
加藤智大死刑囚は赤信号を無視しトラックで歩行者天国に突っ込み次々に人をはね、その後トラックから降りてガターナイフを振りながら17人の通行人や警察官をガターナイフで切り付けました。
この事件で命を落としたのは7人。
10人の人が負傷しています。
当時の加藤智大死刑囚は25歳。
派遣会社に勤務していました。
犯行の動機はネット掲示板で自分の悪口を書き込まれたことに腹を立てて犯行に及んだとう説が浮上しています。
現実の社会から逃避するかのように逃げ込んだネットの世界でも孤独になり、行き場を失ってしまったかのような加藤智大死刑囚。
ここまで歪んでしまった背景には、幼い頃からの母親のスパルタ教育が関係しているとも言われています。
加藤智大死刑囚の生い立ちはこちらの記事に詳しく書かれています。
加藤智大死刑囚は2015年に死刑判決が確定し、2022年7月26日に東京拘置所で刑が執行されました。
39歳でした。
加藤智大のプロフィールです。
生年月日: 1982年9月28日
死没年月日: 2022年7月26日
出身地: 青森県青森市
出身高校: 青森県立青森高等学校
出身大学: 中日本自動車短期大学(岐阜県)
加藤智大死刑囚は青森県内でもトップレベルの進学校に進学。
大学は母親の希望で国立の北海道大学工学部を受験するも失敗に終わり、岐阜県の短期大学に進学しています。
加藤智大死刑囚の母親は非常に教育熱心な母親であったようで、加藤智大死刑囚が幼い頃から躾に厳しくテレビを見る時間や友達と遊ぶ時間を与えなかったそうです。
厳し過ぎるほどの躾や教育は虐待と紙一重とも言われるくらい厳しかったと言われています。
加藤智大の両親の現在
加藤智大死刑囚の家族構成は、父親と母親、そして4歳年下の弟の4人家族でした。
加藤智大死刑囚の父親は高校を卒業後、地元の信用金庫に就職し勤務していたサラリーマンでした。
加藤智大死刑囚の母親は青森県北津軽郡の出身で、高校は加藤智大死刑囚の出身校でもある青森県内トップレベルの県立青森高等学校の卒業生。
母親は加藤智大死刑囚が青森高等学校に合格した際は大変に喜んでおり、親戚にも報告をしたそうです。
加藤智大死刑囚の母親は、青森県立青森高等学校から県外の国立大学を受験しましたが失敗に終わり、高校卒業後に地元の信用金庫に就職します。
そこの信用金庫で加藤智大死刑囚の父親と母親は出会い、職場結婚に至っています。
結婚当時、加藤智大死刑囚の父親が23歳で、母親は27歳。
母親の方が4歳年上で姉さん女房でした。
加藤智大死刑囚の母親は国立大学受験をしており失敗に終わっていますが、青森県内トップレベルの高校を卒業していますので、かなり優秀であったようです。
国立大学合格の夢を息子に託すかのように、教育に情熱を注がれたことでしょう。
加藤智大死刑囚の両親は、事件が起こる前から別居状態にあったと言われています。
そして加藤智大死刑囚が事件を起こしてから、マスコミの前で母親が崩れるようにして土下座をした報道もありました。
このシーンが記憶に残っている方も多いと思います。
事件後、加藤智大死刑囚の両親は離婚に至っています。
事件後の父親
加藤智大死刑囚が事件を起こしてから、父親は会社側(信用金庫)からの働きかけで退職を余儀なくされました。
事件後は、脅迫や嫌がらせの電話がひっきりなしで、電話回線も解約したと言います。
普段はカーテンを閉め切り明かりも付けずに、夜はローソクの明かりで夜を過ごしていたとも。
一時は加藤智大死刑手の実家は売りに出されましたが、買い手がつかず現在は父親が一人で住んでいるとのこと。
近所の方の証言では、事件後しばらくは家に引きこもる生活を続けていたそうですが、現在は朝早く作業着姿で家を出て夜遅くに帰宅する生活を送っていると言われています。
やはり、働かなくては生きてはいけないので何等かの仕事に従事されているようです。
事件後の母親
母親は精神的に病んでしまい、事件後は精神病院に入院。
入院中は撹乱状態が続き面会も出来る状態ではなかたっと言います。
母親は精神病院を退院後は、北津軽郡の実家に身を寄せていました。
当時、母親の実家には加藤智大死刑囚にとっては祖母が健在でしたが、事件後に祖母は急死。
次々に不幸が降りかかった状態となってしまいました。
現在の加藤智大死刑囚の母親は、実家を出てアパートに青森市のアパートで一人暮らしをされているとのこと。
父親同様に家に引きこもり、真っ暗な部屋で生活をしているとのことです。
[adf]
加藤智大の弟
加藤智大死刑囚には4歳年下の弟がいました。
加藤智大死刑囚ほどではないようですが、やはり母親から教育を仕込まれたようです。
加藤智大死刑囚の弟は地元の中学校を卒業後は、仙台の高校に進学されたとのこと。
高校卒業後は上京し、就職をしたようです。
事件後、弟はこのまま会社にいれば迷惑がかかると思い、事件当日の深夜に退職届を書いています。
本来は会社を辞めたくはなかったが、兄が起こした事件を知らぬ存ぜぬでは通せないと思い、退職を余儀なくされたとのこと。
事件後は東京を離れたそうですが、弟のところにはマスコミが押し寄せていました。
事件後3ヵ月して報道も納まりかけていた頃にアパートを引っ越しますが、住民登録を済ませるとそこにもマスコミが押し寄せたと言います。
弟は、もうマスコミからは逃げられないと絶望します。
弟も犯罪者扱いを受けながら生活を送っていましたが、やがて彼女が出来ます。
彼女と結婚を考えるようになり、真実を打ち明けたときに彼女は弟さんを「あなたはあなただから関係ない。」と受け入れてくれたことがとても嬉しかったと。
しかし、彼女の両親は結婚を大反対でした。
やがてささいなことで彼女とケンカ。
その際に彼女の口から出た言葉に弟は打ちひしがれました。
「一家揃って異常なんだよ。あんたの家族は。」と。
加藤智大死刑囚の弟は、この彼女さんと交際したことで一瞬ではあったが事件の辛さを忘れられることが出来たと述べています。
しかし彼女の咄嗟の言葉に、もう自分は死ぬしかないと思い、自殺未遂を起こします。
最初の自殺は餓死を選びましたが、10日目で我慢できずに水を飲み、自殺未遂に終わります。
それから1週間後の2014年2月に首つり自殺を図り28歳でこの世を去っています。
加藤智大死刑囚の弟は、自殺前に250枚に及ぶ手記を残しています。
「兄が母のコピーなら、僕はコピー2号。でも僕は兄と同じことはしない。」
兄に何度も手紙を書き、面会にも行ったが一度も会ってもらえなかったこと。
「事件から6年が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと知りました。加害者家族というのは幸せになちゃいけないんです。僕は生きることを諦めました。」
と250枚に及ぶ手記を残していました。
弟さんの気苦労がひしひしと伝わってきます。
どんなに辛い思いをされてこられたことでしょう。
弟さんに関しては「気の毒だった」という言葉以外、何といったらいいのでしょうか。
加藤智大死刑は刑を持って償ったことになるかもしれませんが、残された人はそれで終わりかと言えばそうではありません。
被害者も加害者家族も苦しみを背負って生きて行く、そこはこの先も変わることはないでしょう。
もう二度とものような悲しい事件が起こりませんように。
まとめ
秋葉原通り魔殺傷事件の加藤智大死刑の両親の現在について紹介しました。
最後までお読み下さりありがとうございます。
加藤智大の生い立ちについてはこちらの記事をご覧下さい。
コメント