元バレーボール選手の狩野舞子さん、とても美人な方で引退後もバラエティー番組などでお目にかかる機会も多いですね。
さすが元美人アスリート、引退後も注目され続けているようです。
そんな元バレーボール選手の狩野舞子さんの学歴と経歴が気になるところです。
また、出身地や家族構成も気になりますね。
この記事では元バレーボール選手の狩野舞子さんの学歴と経歴、出身地や家族構成も合わせて紹介しています。
狩野舞子の学歴

狩野舞子さんの学歴をはじめとした簡単なプロフィールです。
- 本名: 狩野舞子(かのう まいこ)
- 生年月日: 1988年7月15日
- 出身地: 東京都三鷹市
- 身長: 185センチ
- 体重: 68キロ
- 血液型: A型
- 出身小学校: 三鷹市立第四小学校
- 出身中学: 私立八王子実践中学校
- 出身高校: 私立八王子高等学校
狩野舞子さんは1988年生まれの東京都三鷹市出身の元バレーボールの日本代表選手です。
2021年の誕生日を迎えて37歳となられたようですね。
引退後はタレントとして活躍されています。
ご自身のユーチューブチャンネル「マイコチャンネル」も開設されており、ユーチューバーとしても活躍をしているんですよ。
狩野舞子さんの出身校は中高一貫の私立校、八王子実践中学、高等学校を卒業されています。
私立八王子実践高校は共学で偏差値は43。
バレー部の強豪校で全国大会の常連校としてバレー界では有名な高校となっています。
八王子実践高等学校は現在は、J特進コース(偏差値61)、特進コース(偏差値56)の進学コースを設けていますが、狩野舞子さんが在籍していた頃は進学コースはなかったようですね。
狩野舞子さんがバレーボールの強豪校、八王子実践校に進学したのは実はバレーボールが目的ではなかったようです。
と言うのも、狩野舞子さんは小学生の時はサッカーに打ち込んでいました。
小学4年生のときには三鷹市の大沢スポーツクラブのバレーボールチームに所属しましたが、メインはサッカー。
中学に進学した時に部活動に女子のサッカー部がなかったため、バレーボール部に所属します。
狩野舞子さんは中学生でメキメキとバレーボールの才能を発揮するのですが、本来はサッカーをやりたかったみたいです。
また、狩野舞子さんの進学した八王子実践中学、高校は実は舞子さんの母親と2番目の姉、美雪さんの出身校でもあるんですね。
狩野舞子さんが八王子実践校に進学した背景には、母親とお姉さんの影響がかなり大きかったのではないでしょうか?
八王子実践高等学校に進学した狩野舞子さんは、一年生で既にエースとして春高バレーで活躍をします。
高校2年生ではキャプテンを務め、狩野舞子さんの高校生活はバレーボーる漬けの日々を過ごされていたようです。
高校3年生のときには2006年春高バレーのポスターのモデルに起用されるなど、当時から容姿端麗な狩野舞子さんに注目が集まっていたようですね。

狩野舞子さんと一緒にモデルとして起用されたのは埼玉県深谷高等学校でエースとして活躍をされた元バレーボール選手の八子大輔選手です。
イケメンと美女でとてもいいポスターに仕上がっていますね。
狩野舞子さんは当時のポスター撮影に関しては、春高バレーのポスター撮影があることをその日の練習が始まるまで知らなかったそうです。
撮影直前の練習で監督にメチャクチャ怒られて、撮影では微妙な顔つきになってしまったことを今でもハッキリと覚えているそうですよ。
そう思って改めてポスターを見ると確かに微妙な表情にも見えなくもないですね。
高校生活最後の大会春高バレーでは狩野舞子さんの腰痛などの怪我の影響もあり、3回戦で敗退しています。
それでも春高バレーに出場するだけでも大変なことですから、3回戦まで戦った実績は素晴らしいですよね。
狩野舞子さんは八王子実践高校を卒業と同時に久光製薬の女子バレーボールチームのスプリングスに入団。
久光製薬のスプリングスには狩野舞子さんのお姉さんの美雪さんも所属されていました。
狩野舞子さんは久光製薬のスプリングスに所属したため、大学には進学はされていません。
狩野舞子の経歴
狩野舞子さんの経歴です。
狩野舞子さんが注目されるようになったのは、本格的にバレーボールを始めた中学生の時です。
小学6年生にして身長がすでに174センチもあったそうですから、バレーボール選手として恵まれた体形でもあったようです。
狩野舞子さんが中学3年生の2003年に、アテネオリンピックの日本代表候補選手に選ばれます。
中学3年生の日本代表候補選出は中田久美選手以来の24年ぶりだったということですから、当時の狩野舞子さんの実力や注目度はかなりのものだったことと思います。
日本代表候補選手に選出された狩野舞子さんは日本代表合宿に参加しますが、代表選手の人数が絞られてくるたびに、自分の名前が残っていることに、狩野舞子さんは不安な気持ちで一杯だったそうです。
それは、自分の実力不足を自分が一番よく分かっていたためで、最終選考でメンバーから外れた時にはホッとしたそうです。
この最終メンバーから外れたのは、狩野舞子さんの腰痛も大きく関係していたようです。
もし腰痛を抱えていなければ、、、、もしかして中学3年生でアテネオリンピック日本代表になっていたかもしれませんね。
中学から高校時代の狩野舞子さんはバレーボール漬けの日々を送り、結果的に社会人になってもバレーボールの道を歩んでこられました。
高校卒業後の狩野舞子さんの経歴がこちらです。
- 2007年: 久光製薬スプリングス入団
- 2008年: アキレス腱断裂で北京オリンピック断念
- 2009年4月: 初の全日本メンバー入り(21歳)
- 2010年1月: 左アキレス腱断絶
- 2010年7月: 怪我の影響で久光製薬スプリングス退団
- 2010年11月: イタリア1部リーグ「パヴィーア」に入団セリエAリーグデビュー
- 日本代表2011年6月: 全日本に復帰
- 2012年: ロンドンオリンピックメンバー選出 チーム銅メダル獲得
- 2012年9月: 久光製薬に復帰(センターに転向)
- 2015年6月: 現役引退を発表
- 2016年7月: PFUブルーキャッツに入団復帰
- 2018年4月:2度目の現役引退発表
- 2018年5月:現役引退(29歳)
狩野舞子さんのバレーボール人生を振り返ってみると、怪我や腰痛に悩まされながらも日本代表として活躍してこられました。
特に2012年のロンドンオリンピックではチームの銅メダル獲得にも貢献されています。
ロンドンオリンピックでは真鍋監督率いるチームには、木村沙織選手や荒木絵里香選手、新鍋理沙選手、迫田さおり選手、山口舞選手、佐野優子選手、江畑幸子選手らが代表メンバーでした。
狩野舞子選手はウィングスパイカーとして活躍をされました。
アスリートなら誰しも目標とするオリンピック出場。
その夢を叶えメダル獲得という実績はアスリートとして冥利に尽きるのではないでしょうか。
狩野舞子さんは2015年に一度現役引退をしながら翌年の2016年には現役復帰をされています。
一度引退したのになぜ復帰?と思われたかもしれませんが、狩野舞子さんは「やりきった感じがなかった。」ためと話しています。
早く言えば不完全燃焼と言ったところでしょうか。
「きちんとバレーボールをやりきらないと今後の人生が見えてこないのでは?」と感じたそうです。
その後は「やりきった」と2018年4月に現役引退発表。
2018年5月2日の黒鷲旗グループリーグの金開会戦を最後に現役引退をされています。
現役最後の頃の狩野舞子さんがこちら。
ベテランの域といった感じで貫禄がありますね。
現在はタレントとして活躍をされています。
狩野舞子さんは33歳となりますが気になる結婚に関しては、今のところ結婚願望がないそうです。
子育てや家庭よりも今は自分の時間を大切にしたいそうで、一人行動も多いということです。
狩野舞子の家族構成
狩野舞子さんの家族構成です。
- 父親
- 母親
- 姉2人
狩野舞子さんの家族構成は父親、母親の両親と二人の姉の3人姉妹。
狩野舞子さんは3姉妹の末子として生まれています。
父親と母親もバレーボールの選手、次姉の美雪さんも元バレーボール選手というアスリート一家に誕生しています。
父親は実業団チームで活躍をされていたバレーボール選手。
母親は、東京女子体育大学の選手として活躍をされていました。
次姉の美雪さんは舞子さんと同じ八王子実践校の出身で、卒業後も久光製薬のスプリングスチームの一員として活躍をされた元バレーボール選手です。
狩野舞子さんは最初はサッカーに没頭していたそうですが、バレーボールに転向されたのも、家庭環境からすると自然な流れでもあったようです。
そして幼稚園の頃から周りの友達とは頭一つ大きかったという身長も、バレーボール選手として最初から恵まれた才能の一つでもあったように思います。
狩野舞子さんは生い立ちからしてバレーボール選手になるべきレーンのようなものが敷かれてあったのかもしれませんね。
まとめ
狩野舞子さんの学歴と経歴、家族構成を紹介しました。
タレントとしての今後の狩野舞子さんの活躍が楽しみですね。
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