ソフトバンクの甲斐野央投手の速球が凄い!と話題になっているようですね。
なんでも観客席でもボールの早さが伝わってくるのだとか。
そんなソフトバンクの甲斐野央投手は、令和の新人王との期待の声も挙がっているようです。
そうなんです!ソフトバンクの甲斐野央投手は2019年3月にデビュー戦を飾ったばかりの期待の新人選手なんですね。
甲斐野央投手は、2019年のプロ野球が開幕されてまだ間もないこの時期から早くも試合に登板されており、結果も出されているのですからますます注目が集まりそうです。
そんな令和の新人王との期待のかかる甲斐野央投手ですが、出身高校や甲子園の経験や父親も気になるところです。
今回は、令和の新人王とささやかれるソフトバンクの甲斐野央投手のプロフィールや父親について調べていきたいと思います。
甲斐野央投手のプロフィール

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甲斐野央投手のプロフィールです。
そもそも名前からして何と読むのか難しいですね。
甲斐野央(かいの ひろし)
生年月日:1996年11月16日(22歳)
出身地:兵庫県西脇市黒田圧町
身長:187センチ
体重:86キロ
投打:右投げ左打ち
プロ入り:2018年ドラフト1位でソフトバンクにプロ入り
出身校:黒田圧中学校、東洋大姫路高校、東洋大学
甲斐野央投手は今年大学を卒業されたばかりですが、2019年プロ野球開幕早々に圧巻のデビュー戦を飾っています。
次項から甲斐野央投手の経歴をお伝えします。
甲斐野央投手の経歴

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緊張の開幕戦で圧巻のデビュー戦を飾った甲斐野央投手の経歴を辿ってみましょう。
甲斐野央投手は、中学時代から兵庫県内では注目されていたようです。
甲斐野央投手が中学3年生の時には、Kボール全国大会に兵庫県選抜代表として出場しており、見事にチームを優勝に導いています。
高校は東洋大学付属姫路高校に進学し、1年生の時からベンチ入りを果たしています。
部員がたくさんいる私立高校では、ベンチ入りすることもなかなか大変なことですが、甲斐野央投手は1年生の時から既にベンチ入りをしていたというのですから凄いことですね。
2先生の夏には控え投手として堂々と先発のマウンドに立っています。
3年生にはもちろんエースとしても活躍しながら、バッティングも得意にしておりクリーンアップの一角もい担っていたそうです。
東洋大学付属姫路高校では、春夏を通して残念ながら甲子園の出場はありませんでした。
しかし、プロのスカウト担当からは注目が集まっていたようです。
甲子園に出場経験がなくても、地道に活躍をしていれば誰かの目に留まるものなんですね。
そんな日の当たらないところから、将来の期待の星が発掘されるのも高校野球の面白いところですよね。
数球団のスカウトから注目されていた甲斐野央投手は、高校3年生の時に日本学生野球会にプロ志望届けを提出せずに、そのまま付属の東洋大学に進学しています。
東洋大学では、投手に専念し球速も150キロ台に到達。
メキメキと才能を開花させクローザーとして定着していったようです。
東洋大学3年生の時にリーグ戦初勝利を挙げ、救援投手として防御率2.02をマークしリーグ最優秀投手とベストナインのタイトルを獲得しています。
東洋大学4年生では日米野球選手権大会、ハーレム国際野球大会の日本代表に選出されています。
東洋大学での成績も立派に残し、スカウトからも注目を浴びていたようです。
そして2018年のドラフト会議でソフトバンクフォークスから1位指名を受けました。
これは、小園海斗選手への指名中重複による抽選で独占交渉権を逃した末の再指名ではありましたけれど、それでも1位指名というなんとも名誉なことでしたね。
甲斐野央の年棒は?

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入団1年目の甲斐野央投手の気になる年棒や契約金はいくらなのでしょうか?
甲斐野央投手の年棒は1500万円だそうです。
年棒1500万円に出来高分の5000万円(推定)を加え、契約金は1億円という最高の条件で入団されたようです。
プロ野球選手の年棒と言えは億単位の金額をよく耳にしますが、これは一軍で活躍しているごく一部の選手なのでしょうね。
また一軍で活躍し続けるということ自体が、ほんの一握りなんですよね。
まずドラフトで声が掛かることが難関であり、更に入団出来たとしても一軍に入ることもそうそう簡単ではありません。
甲斐野央投手は開幕戦でデビュー戦を飾り、その後も着々と結果を出しているのですから、本当に凄いことですね。
甲斐野央の父親と兄弟
有名なアスリートとなると、その親や兄弟が気になるところです。
どんな教育をしたらスーパーアスリートに育つのか?とても興味深々です。
甲斐野央投手が野球を始めたのは小学校3年生の時でした。
甲斐野央投手が野球を始めたのは父親の影響が強く、物心つく前から野球一色の環境に育ったようです。
自宅の庭にはバッティング用のネットもあったそうですよ。
兄弟は9歳年上の兄、祐太さんと7歳上の耕一さんの3人兄弟ですが、少し年が離れていますね。
甲斐野央投手の父親は黒田圧少年野球団のコーチをしており、自然な流れで甲斐野央投手も小学3年生で二人の兄が所属していた黒田圧野球少年団に入団して野球を始めています。
野球少年団のコーチをしていたということですが、甲斐野央投手の父親はもともと高校野球児で甲子園出場を目指していたようです。
ですが、甲子園出場は叶わずに息子たちに夢を託していたようですね。
ちなみに甲斐野央投手の名前は、甲子園の中央に立って欲しいとの思いを込めて「央」と名付けなれたようですから、父親の甲子園への思いはかなり強かったようですね。
また、少年野球団のコーチということで、人望や信頼のある方なんだと思います。
自分が野球が好きだったら子供にも野球をさせたいと思うのが親心。
欲を言ってしまえば、甲子園出場を通り越して「プロ野球選手にさせたい!」とも思うのはもはや野望としか言いようがありませんが、そんな野望ともとれる期待に見事に応えた甲斐野央投手は、最高の親孝行が出来ましたね。
甲斐野央投手の父親は、サラーリーマンなのか公務員なのか自営業なのかは不明ですが、野球少年団のコーチをしていたのは、きっと平日は何らかの職業で働きながら休日に子供たちに野球を教えていたことと思います。
野球が心底好きでなければ、このような野球少年団でコーチを務めることはなかなか出来ないですよね。
そんな大好きな野球で自分の息子がプロ選手になることが出来たなんて、これ以上ない幸せで羨ましい限りです。
これも父親の努力の甲斐あってのことですね、本当におめでとうございます!
まとめ
令和の新人王の期待の星、甲斐野央投手のプロフィールや父親についてお伝えしてきました。
開幕デビュー戦を華やかに飾った甲斐野央投手の今後の活躍がますます楽しみですね。
ピッチャーは勝利した時はもてはやされますが、負け投手となった時は一気に奈落の底に突き落とされるという極端な思いをする大変なポジションかと思います。
そんな大変なポジションですが、令和の新人王候補の一人として最高のシーズンをお過ごしください!
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