上祐史浩の現在はひかりの輪の代表で宗教活動家!結婚して嫁はいる?

あの人の現在
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地下鉄サリン事件一連の事件に関与していたオウム真理教。

事件当時、連日のようにテレビで熱弁をふるっていたのが上祐史浩氏でした。

あまりの弁の達者さに「ああいえば上祐」とニックネームもついたほどです。

また上祐史浩氏は熱狂的な女性ファンがついたことでも注目を集めていました。

上祐史浩氏の現在は何をされているのでしょうか?

結婚して奥さんや子供はいるのかも気になりますね。

この記事では上祐史浩氏の現在の様子や結婚についてまとめています。

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上祐史浩の現在の年齢

一連のオウム事件で一躍有名になった上祐史浩氏。

オウム関連の事件後、上祐史浩氏はオウム真理教教団の顔として連日のようにテレビに出演し熱弁を振るっていた様子が印象的です。

当時の上祐史浩氏はオウム真理教教団の外報部長、緊急対策本部長と言う立場でマスコミなどの対応に追われていました。

上祐史浩氏は麻原彰晃死刑囚の指示で外報部長、緊急対策本部長に任命されたとのことで、麻原彰晃死刑囚から厚い信頼をされていたことが伺えます。

事件当時上祐史浩氏はオウム真理教ロシア支部長であったため、一連の凶悪事件には直接関与していなかったことで、現在も宗教活動を続けることが出来ているということです。

それにしても連日のようにテレビでの弁の立つマスコミ対応は凄かったですね。

「ああ言えば上祐」とはよく命名したものです。

「ああ言えば上祐」こと上祐史浩氏の現在は何歳になったのでしょうか?

上祐史浩氏の年齢と共にプロフィールを紹介します。

上祐史浩(じょうゆう ふみひろ)

生年月日: 1962年12月17日

年齢: 61歳(2023年の誕生日で)

出身地: 福岡県三潴郡城島町(現在は久留米市)

学歴: 早稲田大学高等学院

    早稲田大学理工学部卒業

現在の活動: ひかりの輪代表

上祐史浩氏の年齢は2023年の誕生日で61歳です。

還暦を過ぎています。

出身は福岡県ですが、父親が貿易会社に転職したため家族で上京しています。

福岡時代の父親は銀行員で母親は教師をされていたとのこと。

貿易会社に転職した上祐史浩氏の父親は後に自分で事業を立ち上げるも失敗に終わっています。

その頃から父親は家には戻らず、愛人がいることも発覚。

結局、上祐史浩氏の両親は離婚に至り、上祐史浩氏は母子家庭で育っています。

子供の頃から学生時代の上祐史浩氏は、おとなしいく性格で目立たない存在だったそうです。

事件後、熱弁をふるっていたの上祐史浩氏の姿からは想像がつきませんね。

そんな大人しい子供時代の上祐史浩氏ですが、成績は優秀で高校と大学は早稲田に進学しています。

早稲田大学卒業後は特殊法人「宇宙開発事業団」に就職されています。

上祐史浩氏は大学時代から超常現象チベット仏教教団活動やヨガに興味を持っていたそうです。

その興味がオウム真理教入信に繋がっていったようで、1986年8月、上祐史浩氏が24歳の時にオウム真理教に入信しています。

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上祐史浩の現在の活動は

オウム関連の事件の騒動が落ち着いてきてから、上祐史浩氏はしばらく姿を消していました。

それは、刑務所に収容されていたからなんですね。

上祐史浩氏が関連したとされる事件は、「亀戸異臭事件」、「国土利用計画法違反事件」この二つの事件の関与によって、懲役3年の実刑判決を受けていたのです。

上祐史浩氏は、3年間広島刑務所で服役していました。

そして1999年12月29日に広島刑務所を出所しています。

オウム関連の事件後にオウム真理教は3つの団体に分裂し、その後も活動は継続されています。

3つに別れた団体がこちら↓

1・アレフ

2・山田らの集団

3・ひかりの輪

アレフは2002年12月29日に上祐史浩氏が中心になって立ち上げた宗教団体です。

上祐史浩氏は出所後、着々と宗教活動を再開するために準備を進めていたようですね。

この3つの団体のうち、アレフは現在も麻原彰晃死刑囚を崇拝しており、特に危険視されている宗教団体と言われています。

上祐史浩氏は2002年にアレフを立ち上げていますが、実は2007年3月8日にアレフを正式に離脱。

代わりに「ひまわりの輪」を立ち上げ、代表を務めています。

ひかりの輪は、麻原信仰を完全に捨てて、一連の事件を反省したと表明しています。

また、上祐史浩氏は事件を反省して被害者に賠償していることも述べています。

オウム真理教は名前や体制を変えて3つの団体に別れて、現在も宗教活動が続けられています。

しかし、これらの3つの宗教団体に対しては、団体規制法によって公安調査庁による観察処分の対象に定められています。

上祐史浩氏ですが、現在は麻原信仰は捨てたとしてひかりの輪の代表として宗教活動に励んでいます。

ライブハウス「ロフトプラスワン」などでトークイベントを繰り返し行っているそうです。

このイベントでは参加者を勧誘しているとも言われています。

また、上祐史浩氏の口が達者なことも健在で、評論家のように世情を語っているとも言われています。

上祐史浩氏が設立したひかりの輪は、東京都渋谷区のマンションの一室に本部を置いて活動されているとのこと。

この本部の置かれたマンションの一室には、額縁に入った弥勒菩薩(マイトレーヤ)の肖像画が飾られているそうです。

麻原信仰は捨てたとされていますが、マイトレーヤを飾っているなどオウムの名残りを信者にアピールしている部分があるとの指摘もあるようです。

また、信者の一部には上祐史浩氏について行けば、来世で再び尊師(麻原死刑囚)に会えると言って麻原死刑囚を信仰している信者もいるとも言われています。

ひかりの輪が本部を置く渋谷区のマンションには、住民によって「名前を変えてもオウムはオウム」と書かれた横断幕が掲げられているということです。

上祐史浩氏の現在の画像も気になりますね。

上祐史浩氏の現在の画像がこちら↓

左下が上祐史浩氏です。

還暦を過ぎていますが、年相応と言った感じでしょうか?

普通のおじさんと言う感じでもあります。

それにしても、オウム関連事件後の上祐史浩氏は女性からモテましたよね。

なんでもファンクラブもあったそうですから。

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上祐史浩の現在は結婚している?

女性のファンが多かった上祐史浩氏。

プライベートでは結婚されているのでしょうか?

上祐史浩氏は結婚はしておらず、独身だそうです。

上祐史浩氏には、オウム真理教に入信した頃は恋人がいました。

その女性は都沢和子さんで、後に麻原死刑囚の愛人となった方なのです。

都沢和子さんと上祐史浩氏は早稲田大学時代からお付き合いをされていたとのこと。

二人は同時にオウム真理教に入信。

入信後に都沢和子さんは麻原死刑囚の愛人となり、上祐史浩氏が教祖に都沢和子さんを献上したと伝えられています。

教祖に恋人を取られた形になってしまった上祐史浩氏ですが、その時の辛さを修行だと思って乗り越えたということです。

また、入信後に上祐史浩氏にも愛人が出来たとも言われています。

教祖をまつわるエピソードには愛人は付き物のようです。

現在の上祐史浩氏は独身ということですが、ひかりの輪の代表ということで愛人の存在の可能性は大いにありかもしれません。

また今までも女性にモテてきた上祐史浩氏ですから、一人の女性と婚姻関係を結ぶよりも多くの女性との交際を選んでいる可能性もあるかもしれませんね。

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まとめ

オウム事件で時の人となった上祐史浩氏の現在の活動や結婚について紹介しました。

オウム真理教は名前を変えて3つの団体に別れて宗教活動は継続されていました。

上祐史浩氏の現在のは、その中の一つ「ひかりの輪」を立ち上げ代表として宗教活動をされています。

弁も相変わらず達者のようでした。

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