心に響くエッセイ「大人の流儀シリーズ」が人気の作家の伊集院静さん。
伊集院静さんと言えば女優の夏目雅子さんと不倫の末に結婚したことでも有名です。
伊集院静さんには娘さんがいるようですが、その娘さんは何人目の奥さんの子供なのでしょうか?
この記事では伊集院静さんの娘さんについてまとめています。
伊集院静の娘は西山繭子?
伊集院静さんといえば女優の夏目雅子さんの旦那さんであったことで有名ですね。
しかし、伊集院静さんと夏目雅子さんは不倫関係からの結婚だったとのこと。
当時は話題となっていたようですが、その騒動を知らない人にしたら衝撃でしかありません。
しかもその当時の伊集院静さんの状況からすると、女性目線からは決して許されるものではありませんでした。
いくらお相手が夏目雅子さんであろうと、元の奥さんの立場にすると惨いの一言に尽きるでしょう。
前置きが長くなってしまいました。
伊集院静さんの娘さんは二人いるようです。
二人の娘さんとも最初の奥さんとの間に誕生しています。
伊集院静さの最初の奥さんですが、電通時代に知り合った方で一般人とのこと。
この女性との間に二人の娘さんが誕生するのですが、、、。
実は二人目の娘さんが生まれる直前に、伊集院静さんは家を出て行ったと言われています。
そうです、夏目雅子さんの元へ行ったのです。
伊集院静さんと夏目雅子さんが出会ったのは1977年のこと。
夏目雅子さんがまだ無名のモデルだった頃です。
カネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMがきっかけで出会います。
伊集院静さん27歳、夏目雅子さん19歳の時でした。
夏目雅子さんはこのCMがきっかけでブレイクしていったと言われています。
このCMのブレイクによって夏目雅子さんは名前を本名の小達雅子から芸名「夏目雅子」に変えたそうです。
伊集院静さんは夏目雅子さんと出会った時は既に奥さんがいましたが、夏目雅子さんと恋仲になりそのまま不倫関係に。
そして二人目の娘さんが生まれる直前に伊集院静さんは家を出て行かれました。
伊集院静さんの最初の奥さんは伊集院静さんが家を出て行った後の1978年1月21日に次女を出産しています。
孤独の中での出産だったことでしょう。
虚しさとやるせなさと今後の不安も大きかったことと思われます。
伊集院静さんの最初の奥さんとの離婚は1980年に成立しています。
離婚までに、次女が生まれてから2年の月日を要しているんですね。
一方、伊集院静さんは1984年に夏目雅子さんと再婚。
この時伊集院静さん34歳、夏目雅子さん26歳でした。
また、この当時伊集院静さんは夏目雅子さんと不倫関係にありましたが、実は女優の桃井かおりさんとも関係を持っており三角関係にあったとのこと。
伊集院静さんを桃井かおりさんに取られたくないとの思いから夏目雅子さんは伊集院静さんとの結婚を決意したと言われているようです。
伊集院静さんは、奥さんのいる身でありながら更に外で二股をかけていたのです。
伊集院静さんに対して、ちょっと見る目が変わってしまいそうです。。。。
伊集院静さんの最初の奥さんは離婚後、保険会社の外交員として働き始め二人の娘さんを女手一つで育て上げました。
伊集院静さんの長女についての情報は出ておらず、次女は女優の西山繭子さんです。
次項より西山繭子さんについてもう少し詳しく見ていきましょう。
伊集院静の娘西山繭子について
伊集院静さんの最初の奥さんとの間に第二子として誕生したのが西山繭子さん。
現在は女優として活動されています。
西山繭子さんのプロフィールがこちら。
- 本名: 西山繭子
- 生年月日: 1978年1月21日
- 出身地: 東京都
- 出身中学校: 大妻女子中学校
- 出身高校: 大妻女子大学高等学校
- 出身大学: 大妻女子大学文学部英文学科卒業
- 身長: 165センチ
- 趣味: 手芸
- 所属事務所: フラーム
伊集院静さんの次女の西山繭子さの画像がこちら。
目鼻立ちの整った奇麗な方ですね。
西山繭子さんは幼稚園の時に父親の存在を知ったそうです。
それまで父親と一緒に暮らした記憶は一切残っていないとのこと。
それもそのはず、繭子さんが生まれる前に伊集院静さんは家を出て行かれました。
そして西山繭子さんが伊集院静さんと初めて会ったのは、大妻女子中学に合格した時のことだったそう。
西山繭子さんの進学した大妻女子中学校の偏差値は65~68。
かなり優秀ですね。
西山繭子さんは小学校のときからクラシックバレエを習うなど、母親は母子家庭にしながら精一杯娘さんたちに教育を与えてきたようです。
西山繭子さんは高校大学とそのまま大妻女子大学に進学。
大学生の時に芸能界に入れば父親に会えるとの思いから、芸能界入りを模索します。
そして大妻女子大学在学中の1997年にUHA味覚糖の「おさつどき」でCMで芸能界デビューを果たしています。
その後、テレビドラマに出演するなど女優として活動するとともに、小説家としてもデビュー。
やはりここは父親の血を受け継いでいますね。
西山繭子さんは小説を出版した際に、伊集院静さんに小説を出版した旨を伝えてそうです。
すると、伊集院静さんからは「あ、そうですか。」とそっけない返事が返ってきたとのこと。
このエピソードから伊集院静さんのクールな性格が垣間見えてしまった次第です。
元々、西山繭子さんが誕生する前に娘と妻を捨てて、夏目雅子さんの元へ走った伊集院静さんですから最初から娘さんに対しての愛情は皆無に等しかったでしょうか。
恋愛と同じで近寄って来られると余計に逃げたくなるような、そんな感情を娘さに抱いているように思えてなりません。
西山繭子さんは自分の性格について、外見はおとなしそうにみ見えるが闘志を内に秘めたタイプと分析されています。
そんなところも伊集院静さんに似ているように感じた次第です。
伊集院静の結婚歴
伊集院静さんの結婚歴をサッと紹介します。
まずは一回目。
先述した通り、伊集院静さんの一人目の奥さんとなったのが電通時代の知り合いの一般人でした。
最初の奥さんとの間には二人の娘さんに恵まれています。
そして2回目の結婚。
不倫関係から夏目真雅子さんと再婚します。
1984年の夏のことでした。
しかし、結婚から約半年後の1985年2月14日に夏目雅さんは体調不良を訴え緊急搬送されます。
検査結果、急性骨髄性白血病と診断が下されます。
夏目雅子さん本人には貧血と伝え、本当のことは隠しておいたとのこと。
伊集院静さんは抱えていた仕事を全て放り投げて夏目雅子さんの看病に徹したそうです。
しかし結婚から約一年後の1985年9月11日に夏目雅子さんは27歳の生涯を閉じました。
あまりにも早すぎる死でしたね。
伊集院静さんは夏目雅子さんの死後、もぬけの殻の状態に陥っていきます。
生きることや死ぬことがどうでもよくなっていったと言います。
結果、借金やケンカ、ギャンブル、お酒など自暴自棄に陥っていき、最後はアルコール中毒でした。
そんな伊集院静さんの様子を見兼ねて周囲が立ち上がります。
作家の色川武文さんを紹介してもらうと、夏目雅子さんが生前に伊集院静さんのことを「あの人は小説家になるべきだと思うんです。」と言っていたことを知らされます。
この言葉で伊集院静さんは救われます。
その後立ち直った伊集院静さんは夏目雅子さんを偲ぶ会で夏目雅子さんのお兄さんの奥さん(故田中好子)さんに篠ひろこさんを紹介されます。
その後、1992年に夏目雅子さんの七回忌が済んだことと直木賞を受賞したことで篠ひろ子さんと3回目の結婚に至っています。
現在は篠ひろ子さんの故郷の宮城県仙台市に移住し、愛犬と篠ひろ子さんと穏やかに暮らされているようです。
ちなみに、夏目雅子さんとも篠ひろ子さんとの間にもお子さんはいませんでした。
伊集院静さんの結婚歴は3回、子供は娘さん二人でした。
まとめ
伊集院静さんの娘さんの西山繭子さんについて紹介しました。
伊集院静さんの娘さんは最初の奥さんとの間に二人いました。
次女の西山繭子さんは女優として、そして小説家としての顔をお持ちでした。
伊集院静さんの現在のお嫁さんや結婚歴についてはこちらの記事に詳しく書かれています。
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