NHK朝ドラカムカムエブリバディでヒロインのるい役を演じている深津絵里さんが可愛いと話題になっています。
それにしても深津絵里さん、本当に可愛いですよね!
るい役の深津絵里さんを見て改めて深津絵里さんの魅力を感じました。
そこで今回は今最も注目を集めていると言っても過言でない深津絵里さんについて、そのルーツを辿るべく深津絵里さんの書道家として有名な母親について、深掘りしてみたいとます。
深津絵里の母親は有名な書道家?
深津絵里さんの母親について紹介する前に、深津絵里さん自身のごく簡単なプロフィールをご覧下さい。
- 本名: 深津絵里
- 生年月日: 1973年1月11日
- 出身地: 大分県大分市
- 身長: 156センチ
- 学歴: 堀越高等学校
深津絵里さんは2022年で49歳となられました。
それにしても年齢を全く感じさせない朝ドラのるい役。
その理由の一つは深津絵里さんの可愛らしい声にあるのでしょうか?
顔立ちも透明感があり綺麗なのはもちろんのこと、あの可愛らしい声が更に年齢を若々しく見せているように思います。
話は逸れましたが深津絵里さんの母親に戻しましょう。
深津絵里さんの母親は書道家として活躍されていました。(過去形)
深津絵里さんの母親は残念ながら2015年6月11日に66歳の若さで肺がんのため逝去されています。
深津絵里さん42歳の時でしした。
深津絵里さんの母親のプロフィールがこちら。
- 本名: 深津輸美子(ふかつ ゆみこ)
- 雅号: 輸黄(ユンホン)
- 生年月日: 1948年(昭和23年)8月24日
- 出身地: 大分県別府市
書道家として活躍された深津絵里さんの母親の画像がこちら。

ロングヘアが素敵な奇麗なお母さんですね。
深津絵里さんの母親が書道家として活動を始めたのは意外にも40代を過ぎてからなんですね。
もともと深津輸美子さんの実の父親、つまり深津絵里さんにとっての祖父は書道家でしたので、輸美子さんも自然に3歳から書道を始めています。
しかし諭美子さんは元々は書道家を目指していた訳ではなく、ファッションデザイナーを目指していました。
しかし、ファッションデザイナーになる夢を叶えることは出来なかったようです。
それでもファッションが好きだったため福岡市でブティックをオープン。
ファッション関係の仕事をされてきましたが、深津絵里さんが1986年13歳の時に「ミス原宿コンテスト」で見事にグランプリを獲得し、芸能界デビューをきっかけに母親も一緒に上京します。
それまで営んでいたブティックを閉店しての上京で、1994年頃のことだったようです。
深津絵里さんの母親は書道に関しては基礎を父親から学んでいましたが、もう一度学び直すため2003年頃に中国の上海大学に一年間留学をして本格的に学び直しています。
40歳を過ぎても何かにチャレンジする姿は見習いたいところですね。
帰国後は筆の代わりに歯ブラシや箒、タワシ、ストローなどで左手や両手を使用して描く漢字アートとしての作品を生み出します。
深津絵里さんの母親の作品は国内外でも高く評価され、個展を開くまでに。
深津絵里さんの母親が書道家として活動を始めた時は既に深津絵里さんは女優として活躍されており名前も売れていました。
深津絵里さんの母親は敢えて本名を隠して活動をスタート。
それは、「親の七光り」ならぬ「娘の七光り」と言われたくなかったことからでした。
2009年に知人に個展を依頼された時に、その知人から本名での活動を勧められ絵里さんに相談したところ「お母さんの人生だからいいよ。」と快く承諾してくれたそうです。
深津絵里さんの母親は40代過ぎてから書道を学び直すなど幾つになっても前進して行く姿には刺激を受けますね!
ご自身でもいつも「自分をもっと成長させたい。」と思いながら高い志を持って生活していたようで、成長し続けるためにも今後は本名でやって行こうと決意を新たにしたそうです。
大女優を娘に持っていながら敢えてそのことを隠して書道家として活動を始めた深津絵里さんの母親。
深津絵里さんの名前を出さずとも個展を開くまでの実力は証明されましたね!
深津絵里さんの母親はファッションが好きでお洒落な、そして実力のある書道家でした。
深津絵里の母親の死因は肺がん

深津絵里さんの母親は前述した通り、2015年6月11日にお亡くなりになられています。
2014年11月に末期の肺がんであることを深津絵里さんの母親ご自身のブログで公表されました。
この時には余命3ヵ月、長くても一年と告知をされていたことを明かしています。
以前から体調不良を感じており、肩にしこりがあることにも気づいていたそうで病院に行ったところ肺がんと診断。
切除手術をするも既に末期の状態だったそうです。
医師からは抗がん剤治療と放射線治療を勧められましたが、深津絵里さんの母親は一切拒否。
痛み止めの薬だけで治療することを選択します。
深津絵里さんの母親はブログで日常の様子などを綴っていましたが、余命宣告から一年経ったときのブログには次のように綴っています。
余命宣告から一年。
痛み止めのみの治療で一年。
すごい生命力
と綴っています。
またある時は、
おそらくこれが最後の美容室になるかな?
ご自身の闘病生活の様子を気丈に綴っています。
深津絵里さんの母親が抗がん剤治療や放射線治療を頑なに拒んだのは「最後まで書道家としての活動がしたかったから。」という理由からでした。
深津絵里さんも献身的に看病をされましたが2015年6月11日に家族が見守る中息を引き取ったそうです。
亡くなる直前に深津絵里さんはカンヌ映画祭に招待さ、れレッドカードを歩いた際には世界中から注目をされました。
深津絵里さんの母親が亡くなったのはカンヌ映画祭が終わって帰国後間もなくのことだったようで、母親は深津絵里さんの帰国を待つかのようにお亡くなりになられたそうです。
深津絵里さんが「ミス原宿コンテスト」でグランプリを獲得し、芸能界デビューをする時に母親は芸能界入りを反対したそうです。
それでも深津絵里さんの決意は固く揺るがなかったそう。
観念した母親は、「天狗にならないように。」と忠告して背中を押してくれたそうです。
その言葉通り深津絵里さんは大女優の座を築いても、天狗になることなく地に足のついた芸能生活を送られていることは言うまでもありません。
素敵な母親あっての深津絵里さん。
深津絵里さんの母親を知ったことで更に深津絵里さんのファンになてしまた次第です。
深津絵里の父親の職業は?
深津絵里さんの父親についてです。
深津絵里さんの父親はエンジニアだそうです。
一部の情報では医師でもあると言われているようですね。
医師免許を持ちながらエンジニアとして活躍されているのかは不明ですが、深津絵里さんの父親が医師であると言うことは、何らかの情報が入り混じって浮上された情報に過ぎないのかもしれません。
深津絵里さんの父親はエンジニアとして海外赴任をされており、帰国するのは年に2回程度だったそいうです。
深津絵里さんの母親もブティックを経営するなどご自身で仕事をされていましたので、深津絵里さんの子供時代は淋しい思いをさせたと母親は語っています。
ちなみに、深津絵里さんは兄弟はおらず一人っ子です。
深津絵里さんの父親は亭主関白で寡黙な方だったそうで、深津絵里さんの母親はそんな夫にじっと耐えていたそうですよ。
深津絵里さんの父親の職業はエンジニアで海外勤務もこなすエリートサラリーマン。
このことからも深津絵里さんは裕福な家庭で育まれてきたようですね。
まとめ
NHKの朝ドラのヒロイン役を演じている深津絵里さんの母親について、また父親の職業などをまとめました。
50代を目前に深津絵里さんの再ブレイクが期待されますね!
コメント