相葉マナブの相葉亭㏌茨城の舞台となった慈久庵。
この慈久庵をたった一人で切り盛りするのが店主の小川亘夫さんです。
和と洋が調和された目を引く慈久庵は、茨城の山奥にぽつんと佇んでいます。
まるで大正ロマンの世界に入り込んだような、こんな素敵な世界を作りだす小川亘夫さんとは一体どんなお人なのでしょうか?
今回は、相葉マナブの相葉亭㏌茨城の舞台となった慈久庵の店主小川亘夫さんについてお伝えします。
慈久庵店主小川亘夫さんプロフィール
慈久庵の店主小川亘夫さんのプロフィールです。
1947年茨城県水府村(今は常陸太田市)生まれ
大学卒業後にサラリーマンになるも20代後半で信州に移り住み、ここで蕎麦に興味をもつようになります。
小川さんの故郷の旧水府村は、もともと山間部で蕎麦の栽培が盛んな地域でもありましたので、信州の蕎麦畑に自然に目がいったのでしょうね。
31歳で東京・荻窪の「本むら庵」で8年間年修行をした後、1990年に南阿佐ヶ谷で石臼挽き自家製粉の手打ち蕎麦店「慈久庵」を開き独立します。
2002年に小川さんの故郷の旧水府村に移り住み、焼き畑農業で自ら栽培した蕎麦を提供してくれる「慈久庵」をオープンさせました。
小川亘夫さんが蕎麦職人になったわけ
蕎麦の栽培から慈久庵のお店の切り盛りまで一人でこなす小川亘夫さんですが、蕎麦職人になるのが目的で蕎麦の世界に入ったわけではないようです。
蕎麦の世界に入ったのは「畑」が一番の理由だそうです。
そばの白い可憐な花が咲く故郷の里山を守りたかったからなんだそうですよ。
蕎麦の白い可憐な花が咲くのは、熱い夏が終わりようやく秋らしくなってきたなと思う頃に畑一面真っ白に咲き誇る風景は、何とも言えない風情があって夏から秋に季節の移り変わりを伝えてくれる使者のようですね。
1978年に長野に移り住んだのをきっかけに長野の美しいそば畑に出会い、ふるさと水府の里山の風景とつながる生き方がしたいと思い、蕎麦の世界に入ったそうです。
水府の山間は過疎化が進み、田んぼや畑も荒れ始めていくことを残念に思い、里山の美しい風景と文化を守るため阿佐ヶ谷のお店を閉めて故郷の水府に戻ることは、自然の流れだったようです。
慈久庵の店主小川亘夫さんはこんな人
職人気質の強いお方と言えばよいでしょうか?
里山のお蕎麦屋さんに温かい接客を求めていくと、ショックを受けるかと思います。
店内では、殆ど無口に近い状態でお店を切り盛りしているので初めて行かれる方は戸惑うようです。
悪く言ってしまえば不愛想と初めから分かっていれば、戸惑うこともないかと思います。
慈久庵の小川亘夫さんは、物静かに淡々ともてなしてくれる超クールな店主なのです。
まとめ
相葉マナブの相葉亭㏌茨城の舞台となった慈久庵の店主小川亘夫さんについてお伝えしてきました。
小川亘夫さんは、筋のスーッと通った職人気質の強い方のようです。
どうぞ、慈久庵に行かれた際は、超クールな対応にへこまないで下さいね。
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